---第22号特集記事---


「がんを生きる「がん患者学」−その後―」

柳原 和子氏(ノンフィクション作家)
(3/3)





「敗者」としてのがん患者から、プロデューサー」として自分のがんと向き合うところへ

『がん患者学』の後、何を考えているかというと、がん患者の多くが敗北感を持っているということです。約半数の人ががんについて言いたくない、知られたくないと言う。また、「くずれる」「死ぬ」「やせていく」「悲劇のヒロイン」などというイメージで捉えがちになっている。
これは果たしてどうでしょうか?
 
今、苦しんでいる人もいると思うので、有効な知恵をここにひとつ。「がん患者プロデューサー論」といいます。「患者主体の医療」と言ってますが、あれは医療側から出てきた言葉です。がん患者からも言います。「患者主体の医療を!」と。がん患者が一生懸命勉強して、医者より医療情報をもつ。それを否定するわけではないんですが、「勉強しなければ」「賢い患者にならなければ」というのには、私は反対なんです。むしろ、あらゆる才能を使いこなすプロデューサーになればいいと思っています。使いこなすのは才能じゃない。一番重要なのは「怯え」です。何人ものサバイバーに聞いていると、怯えを正直に出す人が多いですね。
 
プロデューサーというのは、「これは失敗するぞ」という目をいつも持ってる。失敗しないためには何を補強すればいいのか、そのための人員配置をする。プロデューサーとしてのがん患者に最初にしてほしい人員配置は先輩の患者です。病院へは先輩に一緒に行ってもらってほしい。病気になって2年も経つと、いまだ自分のことは医師に言えなくても、他人のためならいくらでも質問できるという強さをもち始めています。
 
次には、先輩患者や医師の言葉をメモしていく。すると、「分からない」ということが分かる。自分が情報通になる必要は相当先でいいんです。分からないことと、何か、「これではダメ」と感じる感覚を研ぎ澄まし、患者仲間のサポートを受けながら、あれこれの配置を試みる。「訊ねたい。でも、主治医とけんかしたくない」と思ったら開業医に行けばいいんです。
 情報で武装するのではなく、「自分には分からない」という感情だけに固執して動いてみてほしい。「先生、お願いします」と、下手に出ながら聞く。これは究極のノウハウです。
 
一方で、「あれはやってあるか」「これは……」と、患者同士の情報交換のなかでチェックしあっていく。信頼すべき情報源やチェックメイトを得たり、一人ではできないと思ったら仲間の輪をつくっていくなど、さまざまな領域を整えていく。これが「患者プロデューサー論」なんですね。
 
そのうえで自分のプログラムをたてる。たとえば代替医療ですが、1つ、2つやると、3、4、5つでは足りなくなってくる時期があるんです。「治る!」とみるとドンと買いたくなるし、「克つ!」とみるとまた買いたくなる。やっていいんです。やってるうちにだんだん整理されるから、そのことを否定しちゃいけないと思っています。
 
一番重要なのは、人生を共にしてきた人、これから共にしていく人、多くは伴侶ですが、その人との関係づくりです。告知をされたときに耐えることはない。あらゆる涙を流す。ヒステリーを起こす。「あなたは分かっていない」と怒る。それらを徹底的にやる。耐えて、後で「この人は全然分かってなかったんだ」と気づくよりは、告知を受けた日に「さてどうするか」を徹底して話し合う。自分の人生を振り返りたくなるから、必ずそのことも話す。言葉にならなかったら涙を相手の前で流し続ける。相手が逃げるようだったら、もう別れる。これが重要なんですね。

「不治のモード」で生きる

ここで私の「患者学」なんですが、全然別の人間になるということなんです。告知を受けたら、治る可能性を医療の問題として自分で組み立てていく。代替医療を駆使したり、『がん患者学』を読んで徹底してやっていただきたいと思うんです。最高の医療に出会うためには医療者側もがんばってほしい。しかし、モードは不治の方に入ってほしいんですね。これが勝利なんです。
 
私は治りたい一心で『がん患者学』を作りました。しかし、あの本のなかには、一字も「治る」という言葉は書いていないんです。がんがそんなに簡単に治るとは思っていなかった。多くの患者さんたちに出会うなかで考え、分かったことは、「治らない」ということを前提にするのも"手"だ、ということでした。「治らない」モードがいかにすばらしいことか。
 
『死ぬ瞬間』を著したエリザベス・キューブラー・ロス――。彼女は7年前に脳梗塞を起こし、もう助からないと言われていましたが、今度新刊を出しました。「死」を研究していた女性なんですが、多くの末期がん患者やエイズ患者に話を聞き、死へ至るプロセスを分析してみせたんです。多くの医療者からは喝采を浴びましたが、私はあの分析はおかしいとずっと思っていました。
 
彼女は臨死体験者を大量にインタビューして「死」を見せました。それを見てると、死んでもいいという気になるような美しい世界なわけです。誰一人として「こっち(現世)の世界に戻りたい」とは言わなかった、というのが彼女の結論でした。
 
今度はその彼女が死に瀕した。その時に何と言ったかというと「誰にも会いたくない」。そして「あんな研究は金と時間の無駄だった」と。 私は喝采しました。「(元気な人に)患者の気持ちが分かるはずがない」と思っていたからです。「絶筆になる」といって書いた自伝がありますが、また甦り、もう一冊書きました。
 
今度の本は泣けました。共著者はホスピスケアの専門家であるデーヴィッド・ケスラーという人です。アリゾナの田舎で暮らしていたんですが、家族と少数の友人しか家に入れなかった。立ち上がれなくなった彼女にとって一番の苦痛は何だったかというと、「患者であり」「いつ死んでもいい」「何にもしない」自分というのに「私は耐えられない」と、シュピーゲルという雑誌に書いていました。それでどうだったのかと思っていたら、デーヴィッドが書いています。「ほとんど怒ってた」と。あらゆることにエリザベスは怒ってた。
 
医療者にはすばらしい研究だと受け止められ、死の専門家から絶賛された本が、なぜ、私にとっては「No!」だったか。
 
患者はいろんなことに怒るわけです。具体的に言えば、最初に取り上げた方に対して医者が不用意に吐いた「あのときの3ヵ月がもったいなかった」なんて、彼は自分で告知したことを忘れてしまってる。そのことについて怒っているにもかかわらず、「この人は、死を前にして“怒りの段階”にいるんだ」と納得するひとつの材料にしてしまったのではないか。あの研究のおかげで、患者の正当な怒りが「死へ至るまでの1つの段階の怒り」としてスライドされてしまってるんじゃないか、というのが私の深読みだったんです。「それで医療者はますます鈍感になっていったんじゃないか」と。
 
新刊ではそんなところがみごとに読み込まれていて、すばらしい。何を書いたか?
 
「いかに生くべきか」――つまり、死に臨んだ人々との究極の対話から学んだ人生論です。『ライフ・レッスン』。これはぜひ皆さんに読んでほしい。あと3ヵ月しかない人の3ヵ月を、50年生きるかもしれない人の50年を生きるための本。50年も3ヵ月も本質は変わらないが、がんを告知された人はそのことがとてもよく見えている、ということを書いています。本のなかに流れているのは、悪い感情を拒否するな、光ばかり見るな、輝いていた(過ぎ去った)日々と考えるんじゃない、本当にいい形の感動というのは、輝いてないときを体験すればするほど生まれるということを。

がんになったことの「意味」

がん患者というのはそれが見えたという意味で新しい人間なんです。つまり、医者に理解してもらえないとガーガー言ってきましたが、理解できないのは当然なんですね。彼らは片方しか見てないし、片方の極地にいたわけだから。そのことから始めようというのが、今の私の究極のスタイルなんです。
 
そこから見てみると、いろんなことが違って見えてくる。たとえば、スーパーマーケットで売ってる物。私の自然療法の経験からすると、ほとんど発がん性物質になる。空気・水あらゆるものが発がん性物質に満ちている。つまり、すごく文学的に言えば「生きる」ということだけを前提に進んできた社会は、発がん社会を創り出してしまった。
 
それが見える新しい目をもったがん患者というものの存在をもう1回見直してみよう。医療とかこの世のなかとか、人間関係などさまざまなものを見直していくひとつの大きな力になると思うんです。あと3ヵ月・6ヵ月と言われた人は、いろんなことが凝縮して見えてくるんです。E・キューブラー・ロスはそれを最後に今やった。つまり、「彼らこそ見えてる人なんだ」という目線で、もう1回思い出しながら証言を聞き直したんです。そうしたら、生きようとする人たちに、ひとつの光を見せてくれる人生論になったわけです。「私たち、がんになった者の意味」という問題提起です。

新しい目をもった人間として 生まれ変わる

中央公論で連載した「がんを生きる」の最後の回に、レイチェル・リーメンという女性に会いに行きました。彼女は、クローン病という、ある意味ではがんと同じくらい過酷な病を15歳のとき宣告されました。小腸がほとんど働かなくなる病気です。何人もの医師から「40歳まで生きられない」と言われました。
 
その前の年に彼女がニューヨークを友だちと歩いていると、アスファルトの下から1本の草がはえているのを見つけたんです。「小さな草にアスファルトを突き破る力がある」というそのときの記憶がずっとその後の力になっていくわけです。彼女はやがて優秀な小児科医になりました。8回の手術を受け、人工肛門を何十年も前からつけています。「結婚しない」「子どもを産まない」といういくつもの決心をして医者になろうと進んでいったんですが、「生」だけを基準にした医療では患者が救われないし、医師さえも実は救われないことに気づいたんです。
 
私は、彼女に「治る・治らない」の話をずいぶんしたんですが、「和子さん、『治る・治らない』だけががん患者になった証であるとしたら、それは志が低いんじゃないんですか」と言われたんです。
 
私もずっと「治りたい」と思っていました。でも、「治る」ことだけに価値基準をおいたら、「治らなくなった」ときの私は何を支えにすればいいんだろう、ということがずっと課題でした。
 
「人生の目的は何か」と聞かれて「ベンツが欲しい」「家を失いたくない」と答えた末期がん患者はいません。「物質的なものではない。誰に出会って、誰と語らい、誰と共に生きた。そして、そのなかで自分は何を感じ、何を考えたかということだけが大切だ」ということを知っている、というんですね。ちょっとニュアンスが違いますけど……。
 
がん患者になるということは、そういうことに気づかせてくれるチャンスだし、それに気づいた人は、時間の長さではない、すばらしいエネルギーと生命力、彼女の言葉ではないですが、その人なりの価値基準をもって輝くんですね。これはどんな人もそうです。それに気づかないで、「輝いていた過去と、あなたのようになりたい私」のままでいると、死は敗北なんです。
 
「私たちは見た。あんたたちより2つ、多く見たんだ」と、考え方を移動することによって、生のプログラムがまったく変えられるんです。

 
「がん患者は新しき人々なんだ。成長した人々なんだ」というのは、こういう意味です。



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