---第24号特集記事---
(2/2)

「心のビタミン宅配します」
―笑福亭小松の泣き笑いがん日記―
笑福亭小松師匠(落語家)




がんを知らされて

 胃潰瘍だと信じてたんですが、手術から何日か経ったとき、手術の費用や生活費など援助してくれていた兄が病室に来てくれました。医者に「2時間とか3時間で上がってきたら、もう諦めてください」と言われていて、エレベーターが上がってくるたびに「弟やなければええの になあ」とずっと見てくれてたそうです。5時間過ぎたあたりから、「やれやれ何とかなりおるんと違うかいなぁ」。身内というもんはありがたいもんですねぇ。

 私は「夏川雁二郎」というのが本名でね。(笑)寒いところを目ざして厳しさを乗り越えていく雁という鳥を親父が好きでつけたらしい。そやから、親からも兄貴からも「がん」って呼ばれてます。

 ある日、兄貴が来て、「がん。大事な話がある」
 「えらいすまんなあ。手術代や生活費も面倒みてくれてるらしいけど……。兄貴ごめんな。病気治ったら、頑張って返すし……。しばらく世話になるけど、ごめん」
 「あほ! そんなこと言いに来たんと違うがな。それよりもっと大事な話があるんや。お前に話そうか、話さんとこか、とずいぶん悩んだけど、もし俺だったら、やっぱりお前の口から聞きたい、と思うからするんやけどな。がん(雁)、お前はがん(癌)や!」「そうや。俺はがんや。がんちゃんやろ。何言うてんや、いまさら」(笑)

「名前のがんやないのや。病気のがんや」「病気のがんって? 俺が? うそやろ?」
「医者にもキッチリ話を聞いた。間違いない。進行性の末期に近い胃がんや」
「……」

 ハンマーで「バーン」と頭をどづかれたような強い衝撃。見るもん真っ白! 何も聞こえてこない。子どもたちの顔が浮かんで、涙だけがポロポロポロ。腹がゴテゴテになるまで泣きました。子どもが私を泣かしおる。

「泣くな」と兄貴が言う。
「お前が泣いたら家族が辛いやないけ。お前の流す涙の30倍、50倍、俺も照美さんも流した。その挙句に『俺から言うさかいに』って今まで口止めしてたんや。ええか、家族の前で泣くな。子どもの前で泣いたらあかん。強いおとっつぁん見せたれ!」
「俺はまだ39や。子どもは小っちゃい」
「心配すな! お前の子は俺の子と一緒や。お前にもしものことがあったら、勝も望も、ちゃんと立派になるまで俺が育てたる。悪う転んであの世へ行ったとしても、3年前に亡くなったお父さんが待っててくれはるやないか。松鶴師匠もいてはるし。雁、往生せい」(笑)

 そう言われても簡単に割り切れないのが人間ちゅうもんでありまして……。「ちょっと待って。兄貴、もし手術せなんだら、俺、どんだけやった?」
「3ヵ月未満って医者は言うてた」
「手術して……生きられるの?」
「そりゃ悪いとこは取ったけど、再発は十分考えられる。あとは運を天に任せるしかない。再発をビクビクするより生きていられる今を喜べ。今は父親としての時間を大事に使うてやることや。それがお前が今生(こんじょう)でせんならん最後の仕事やと思え」

 決して裕福ではない兄貴が、何十万もするキノコを買うきてくれるんですね。最初のうちは「おおきに。ありがとう」。血絞るような金で買うてくる薬ですから、最後には「兄貴、もうええわ。もう大丈夫や」。多分、その薬よりも兄貴の気持ちがよう効いたんやと思います。

 しかし、そうは言いながら、「がん」という大きな渦に巻き込まれた心の舵取りは難しい。生きるでもない、死ぬでもない、起きるでもない、寝るでもない、なんか気を失っている……。フッと気がつくと「アッ、がん(癌)かよう〜」とため息。またポロポロ出る涙。病院の屋上で、「この世に神さん仏さんがあるもんなら、頼んますわ、願い聞いてくんなはれ。自分が消えてしまう寂しさよりも、まだ小っちゃい子どもと別れるのがただ辛いんですわ。そこそこ大きくなるまでの時間を私におくんなはれ!」。気がついたら一晩中、寒い中震えながら手を合わせていました。生きたかった執念なんでしょうねぇ。


 


生ききる決意

流すだけ涙流したら「よし、もう泣かんとこ」。本をいろいろ読みました。「人間提督・山本五十六」。ラバウルの空へと消えていった幾万もの若い命。「あの人らは国のために死んだんや。俺は自分の病気で、自分の運命で死んでいくんや。そりゃ仕方ない」と思いながら、生と死の狭間で悶え苦しむ。どう死ぬのか? どう生きたらええのか?

 ヒントを与えてくれたのが俳句でありました。 「やせ蛙負けるな一茶これに在り」

 たった17文字の中で、一茶が私に「生きよ!」 「頑張れよ!」とエールを送ってくれてるような錯覚すら覚えました。

 俳句にのめり込みました。山頭火の句。ほんまに私の心と同じ句がありました。
「捨て切れない荷物の重さ前後ろ」

 俺、あの2つの命が大事やねん。時間があったらあいつらにいろんなこと教えてやれる。けど、もうあんまり時間がない。どないしょう。 どうせ半年しか生きられへん命なら、病院で点滴しながら過ごすより、子どもたちのために列島を端から端まで歩いたろ。そうや、時間ないねん。兄貴に告知されたその時から、俺の人生のカレンダーは日めくりになった。今日を一生懸命生きなあかん。思い込んだら命がけ。

 不安は確かにありました。けどね、死を意識してはいられん。人間は1回生まれてきたら、1回死ぬんや。早いか、遅いかの違いだけや。長く生きたから幸せ、短命だから不幸せちゅうもんやない。がんになったのも何かの縁や。そんなかで自分なりの濃い生き方をして、最後は喜んで死ぬんや。がんで死ぬのやない。天寿をまっとうして死ねたらそれでええのや。

 死に方のコツがわかった。思い切り目いっぱい生きるこっちゃ。これや!

「日本列島一人旅」いざ出発!

鹿児島県庁の前に立ちました時に、一句。
 「この道のどこまで行ける旅の雁」

 列島の旅です。孤独でしたねえ。一人で歩くんですからねえ。山を越え、野を越え、排気ガスにまみれ、汚い格好になっていきます。サラだった雨ガッパが、赤茶けてきて、黒になってきて……。
「すみませんけど、泊めてくんなはれ」
「ダメダメダメ! うちは予約制」「お金持ってますけど……」
「ダメダメ。お2人さんから。そこ玄関やから、シッシッ」とか言われてね。「無情やなあ」思いましたでぇ、ほんまに。公園でしゃがんでソーセージ食べてましたらね、ほんまもんのホームレスが、私を仲間だと思って話しかけてくるんです。
「お兄さん、人間生きてるといろいろあるけどさ、あんたまだ若いんだから頑張りなさい」(笑)

 まあ、そんな旅ではありましたけど、そんな人ばっかりではなかった。やっぱり旅に出てよかった。広い九州を歩ききって、本州へと差しかかってきました。

 トコトコトコトコ歩く。晴れた日にええ句ができます。「白い雲今日は私につきあうか」
 力強い朝の句ですねえ。ところが雨にズブズブに濡れますと、自分以外の小っちゃい命がいとおしく感じられるんですね。がん患者になってから、心が澄むようになりました。地球上の人間、皆いっぺん全員がん患者になって、全員が治ったら悪い人いなくなるんやないかなあって思うくらい。

 スズメが「チュンチュン」鳴いてるんです。パンか何かひねったろか。突然、勝手に出てくるんです。
「旅に来て時雨れて濡れる野雀よ お前もひとり寂しくないか

 また、雨に濡れ、風にさらされ、陽に当たって、だんだんたくましい顔色になってきます。
「陽に焼けて細いからだも頼もしや」

 句が何となく変わってきました。ホスピスの会合でも話させてもらいました。そんなときは、「同病相憐れんではいかん。相励ましあっていきましょう。私は自分に言い聞かせているんですよ。それを独り言やと思って、皆さん聞いてください。最後、私はアッパレに死んだろうと思ってこの旅に出てきました。どこで果てるかわかりませんけど、家族を枕元に呼んで、ニッコリつくり笑顔で『おおきに、ありがとう。お前らと出会えて楽しかったよ。ええ人生送ったよ。お父ちゃんが死んでも泣かんでええで。お前らはゆっくり来たらええ。グッドラック!』と言って死にたい。これが一番、と心得ています。しかし、諦めるのが一番いかん。生きて生きて生ききって、来るべき時にそういう心境になりたいもんであります」と、こんなことをしゃべって歩いてたんです。そしたら、なんや、私を待っててくれる人がたくさんいるようになってきました。

 ある日「瀬戸は〜日暮れて〜夕波小波〜♪〜」と歌われた生口島からお坊さんが訪ねて来てくれはって、「うちの島は年寄りと病人が多いけんね。本堂で講演してくださいよ」。私も人恋しい男です。1ヵ月誰ともしゃべってへん。しゃべりたかった。ポンポン船で10分程のところです。「よっしゃ。一期一会!」

 たくさんの人が集まってくれはって、「ワ〜ッ」としゃべると「ド〜ッ」と笑ってくれる。あの懐かしい笑い声。うれしかったですなあ。後で聞いたら、島に芸人来たん初めてやったらしいですわ。(笑)

 晩ご飯をいただきます。いただく時に、一句。作ろうと思ってへんのに句が湧いて出る。
「一膳の飯の美味さよ嬉しさよ」

 本堂で泊めてもらいました。朝起きたら、ゆうべ落語聞きに来てくれた島の人が集まってくれて、「小松さん、気ィつけんさいよ。北海道も大事やけど、体はもっと大事じゃけんねぇ。北海道なんて行かんでもええけんねぇ。もう諦めんさいよ」(笑)て言うてくれるんです。「いや、北海道行きたいんです」「生きて北海道行くんじゃったらええけど、死んで北海道行けんけぇね」その言葉が嬉しかった。

 初めて出会った人やけど、なんか名残り惜しい。人と出会うたんびに、出会いは嬉しいけど、別れは寂しい。
「別れては元のひとりでまた歩く」
 ポンポン船が出ていきます。
「小松さ〜ん、元気でね〜」
「おおきに〜。皆さんも元気でね〜」
「小松さ〜ん、頑張ってね〜。はようプロの落語家になってね〜」(笑) 「プロや!」っちゅうねん。30年、この道で飯食うてんねん。ゆうべの笑いは何やったん。Uターンして皆に回覧板回したろか、と思いました。しかし、そんなことやってる場合やない。トットコ、トットコ山陽道を参ります。

 「列島を行けば嬉しや人の味」

伊丹先生との出会い

ここにも来られたそうですな。伊丹仁朗先生。嬉しい人と出会いました。あの先生はほんまもんです。あの人こそがドクターです。病気を治す医者のテクニックよりも、慈愛に満ちた心。私ビックリしました。倉敷市にあります柴田病院で先生と会うたんです。職員さんがぎょうさんいてはるとこで弁当をいただいて、世間話して「そりゃそうと、来て1時間くらい経ちますけど、伊丹先生はまだですか」って言うたら、一番端にいた方が「私が伊丹です」。(笑)モンブランに登った人やから、クマさんみたいなおっさんが出てくるのかと思ったら、羊みたいな顔の優しい先生。

「がん克服落語会をやりましょう」って誘われて、「あきまへん。先生は医者やからそう言われるけど、『おばちゃん笑いすぎや。ノドチンコ見えてまっせ』って言うと、皆が笑う。がん患者さん相手にそんなこと言えまっか?」と言いますと、「それは違います」。岡山弁で「私どもが研究しましたNK(ナチュラルキラー)細胞というのがあります。人間の体内にはどんな健康な方でも毎日3000〜5000個のがん細胞が発生しております。それを正義の味方・NK細胞がやっつけてくれる。これは笑うことによって、また目標・目的をもつことによって活性化される。笑う=NK細胞が活性する=免疫力が高まる=自然治癒力となる=健康になる=幸せになる。こういう方程式です」

「あのー、難しいことはようわからんのですけど。笑いは世のため、人のためですか?」「そうです。万病の薬です」。よし、この先生の言うこと聞こう。「ほんなら、やらせてもらいますわ」

 120人くらいの患者さんの前でやりました。生口島でうけたのと同じ演題だから自信もってやったけど、「シーン」。全然笑いがなければ次の話に移るんですが、行こうと思うと「クスクス」……。ものすご遅い半端な笑いばかりが後から後からついてくる。やりにくかった!

「お疲れさまでした」と先生が迎えてくれました。「倉敷の方はあまりお笑いにならないですねえ」「いえいえ、皆さん大喜びですよ」「いや、クスクスだけですけどねえ」「言い忘れてました。ほとんどの方が脳梗塞なんです」(笑)先に言うて〜な!(笑)脳梗塞の人ならそん人たち用にしゃべりまんねや。

 ところで、この先生に出会ったことで、私の心の位置が定まりました。医者は私が出てくるときも、旅先で対応してもらったときも、皆「暴挙や。やめなさい」。一同右へ習え。そのくせ北海道に着いたとたんに「快挙ですねえ」。最後まで応援してくれはったのが、伊丹先生でした。FAX攻撃であちこちに呼びかけてくださいまして、「がん克服落語会」も北上していきました。そのたびに、心よい人、がん患者の皆さんに出会いました。がん患者の方は他人とは思えない。何だか抱きつきたい衝動に駆られました。


ありがた迷惑な贈り物

 箱根の峠もきつかったけど、最後の北海道の静狩峠、旅日記には書いてないんですが、こんなできごとがあったんですよ。

 雨に降られてとにかく寒かった。ガソリンスタンドがあったもんやから「すみません。ちょっと雨宿りさせてください。あやしいもんじゃないです。ちょっと温まらせてください」「知ってるよ、知ってるよ。北海道新聞に出てたがんの人だろう? 歩いてきたんだろう?」「(ガタガタガタガタガタ……)」「いいものやるから待ってて」

 私、新聞記者が来られた時に、「困ってることは?」と尋ねられて「ダンピング症候群で、甘いもんを口につけなんだら、低血糖になって手がブルブル震えてしまいます。これが困っていることです」と言うたもんやから、新聞読んで、甘いコーヒーでもくれはるのかしらんと心密かに待ってると、どこで仕入れたんか知らんけど、イヤラシイエッチな本3冊くらい持ってきて「これやるから、元気出しなさい」って。どこが“元気”やん?

「いらん、いらん! そんなん忘れてこの旅してまんねんで。修行僧のように歩いてきましたのに」

 勝手にリュックに入れはったんです。迷惑な贈りもんですわ。そいでも、人の好意なのにもめさせたらあかん思い、そのまま失礼しました。長かった静狩峠越して、豊浦町っていう漁村に着いた時には夜。もうフラフラ。泳いでるのか、歩いてるのかわからない、そんな状態で見つけた一軒の民宿。ありがたかった。
「泊めてください」。中からおばあちゃんが出てきて「よ〜く来られましたね〜」「泊めていただけますか?」「何もおかまいできませんが、どうぞこちらへ」
 「このカニを食べなさい。私からのプレゼントです」「なんでそんなに親切にしてくれはるんですか?」って聞いたら「私は身内をがんでたくさん亡くしている。現在も入院中の親類の者がいる。私はがんの憎らしさ、怖さもよく知っています。あなたは偉い。北海道までさぞかし遠かったでしょう」って誉めてくれはるんですね。カニの味よりも、おばあちゃんの人の味がおいしかったです。人間生きてりゃ捨てたもんやないなあ。

「北の地は吹く風冷たく人あつく」

 「この町には大そうな患者会はないけどね、病人さんの集まりがあるから声かけてもいいですか?」「どうぞ、どうぞ」。2、3軒電話しはっただけなのに、40人近く集まってくれました。

 肝臓がんのおじいちゃんが「あんた、死ぬのが怖くないのか?」って言うから「怖くないことはないです。でもジッとしているよりはマシでしょう。この旅日記が私の財産です。私には何もありません。この旅で体重は7キロ落としましたけど、心は太りました。この思い出をもち帰り、子どもに話してやろうと思います。人生の旅にバックミラーはありません。前を見て生きるしかないんです。生き方が死に方なんです。明日死ぬことを怖がって、今日を生きられますかいな。まず、今夜を過ごさなあかんのですから。再発が来たらそのとき考えたらええんやないですか。来るか来んかわからんもんに怯えてるより、今日を生き生きと生きること、それが大事ですよ」と熱弁ふるったんですね。私もすぐムキになる男で、飯飛ばしながら……。

 這うようにして2階へ上がってリュックを開けました。息子に送る旅日記。ノートを取り出そうと思ったら、例の本や!(笑)どないしよう。どっかにほかさなあかん。カタカタカタと音がして「チーズケーキ、どうぞ」あわてて布団の下に隠したんですわ。

「ありがとうございます。いただきます」。日記をつけて、布団に入らずそのまま寝てしまったんです。よっぽど疲れてたんですね。

 翌朝。出発。さあ、気合い入れていこ。今日は30キロかぁ。よし、行くでぇ。なんか忘れてるなあ?(笑)気のせいかいなあ? 3キロ程行ったら、ガソリンスタンドの看板が見えて、「あっ!アッ!どないしよう。イヤァー、布団の下に置いたままや!」

 ゆうべした話を思い出しました。偉そうなことを……。もうええわ。旅の恥はかき捨てや。記憶から消してしまおう、と思って、それから1週間、トットコトットコ歩きましたわ。ほんまに地をはう虫のように歩きました。心細なった日もありました。

「ふと我に返りて病思い出し 弱気の虫を 叱りて歩く」

 今まで出会ったがん患者さんの涙の顔を忘れたんかい。こんなとこでへこたれてどうするんや。3つの峠を越してきた男やないかい。歩け!フラフラになりながら歩きました。



ついにゴール!!

 嬉しかった。北海道庁に着くころには、沿道にいっぱいの人ですわ。テレビカメラが何台も。私、聞いたんです。「あのー、マラソンでもあるんですか?」(笑)「あなたを待ってたんですよ!」「私を? ええ〜〜何で?」

 たった一人で始めた列島の旅。がん患者の最後の夢と笑われた旅が、寂しく独り歩いていた私が、がん患者さんにエールを送るつもりが、逆に励ましてもろうた。人間ってええなぁ。

 ゴール付近に伊丹先生が待っててくれてはりました。静岡とか金田一(岩手県)とか忙しい時間を割いて注射を打ちに来てくれはった先生。いろんな人の顔・顔・顔。ほんまに忘れられない人たちばかり。間違いなかった。嬉しかった。ゴールした時には「おめでとう!」と伊丹先生が抱きついてくれました。私も先生を見て男泣きに泣きました。

「おめでとう!」「ありがとう、ありがとう!」と言いあってるときですわ。
「師匠、お疲れさまでした。豊浦の旅館から忘れ物を預かってきました」(大爆笑)

 今、出しないな。皆、泣いてんのや。感動してんのや。そんなもん出されたら
……。

 ほんまに私、いつもこんなもんですわ。最初、ちょっとカッコええ。途中、感動もある。最後、オチがついてしまう。

 しかし、長い、長い日本列島3000キロ。今日も来しな飛行機の上からのぞいたら、ず〜っとあれをトコトコ歩いたんかと思うたら、たった4年前のことやのにずいぶん昔のことやったように思い出されて、自分がいじらしくなりました。よう歩いたんやな。よっぽど行きたかったんやな。そのおかげで今があるやないか。




新たな挑戦へ!

 旅の途中にね、毎日欠かさず朗読した詩が宮沢賢治先生の「雨ニモマケズ」。
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ、夏ノ暑サニモ負ケヌ、丈夫ナカラダヲモチ・・・・・・・ソウイウ者ニワタシハナリタイ」(全文)

 私、賢治先生が大好きで、人生の教科書にしてます。その詩を地でいかれるような伊丹先生が提唱される生きがい療法であります。旅が終わった後の寂しさ、ありました。で、「次の目標を」ということで、伊丹先生は患者さんとモンブランに登られた。俺は上方落語の最高峰である「駱駝(らくだ)」に勝負を挑もう。正面きって正々堂々と勝負しよう、と“小松の駱駝”で芸術祭優秀賞をいただきました。東京からもたくさんのお客さんが来てくださいました。「仲間っていいな。人のつながりっていいな」と思わずにはいられませんでした。

 そして今は、伊丹先生のおかげで国立岡山大学で、非常勤講師をやらせていただくようになったんですよ。ところが、今年の春からは、奈良県立高田高校定時制の1年生でございまして、ゲルマン民族の大移動とか、因数分解の勉強をしてます。今、期末テスト中でして、あさってで終わりなんです。明日が一番嫌いな数学です。こんなとこでぼやいてる場合やない。(笑)

 生きがい療法は難しい。そんで、また忙しい。ひとつクリアしたら次のプラン、また次。死んでる時間がないんです。(笑)次から次へと頑張っていかんならん。生きておられることの嬉しさ、なくしたもんは大きいかもわからんけど、それ以上のもんを皆さん得てはるはずでありますわ。辛い苦しみがあったから、その分、人に優しくなれる。流した涙の量が多いほど強くなれる。そんなことを、日本列島徒歩縦断の旅が私に教えてくれました。嬉しい出会いがあってこその一期一会でございます。今日、皆さんとお目にかかれましたことを、心より厚く深く御礼を申し上げます。(拍手)





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