---第29号特集記事---

患者に寄り添う医療を目指して

― ネット社会に医師として関わる―


吉田 純司 氏 (国立がんセンター東病院 呼吸器外科医)
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検査も治療もメリット・デメリットが必ずある

なにが大切なのかと言いますと、医療行為というものには、良いところと悪いところが表裏一体でつきまとうことが多い、ということを知っておくことです。

検査をとってみても、この検査に基づいて、どういう異常があってどういうことができるのかが分かってくることが長所ですが、肉体的、あるいは経済的、時間的負担がかかります。手術というのは治癒、延命に役立つことが長所ですが、一方でそれなりの危うさをともなっています。この負担をどの程度重視するか。手術時の危険だけでなく、手術することでなにがしか体に障害が残ることもあるわけですが、そういったことを手術の役立ち具合と比べてどのように評価するか。

抗がん剤もいろいろ問題がありまして、副作用とか、時間やお金がかかる、という問題があります。どの程度その抗がん剤が役に立つ、効くのか。このバランスをとっていかなくてはならないわけです。どういう長所を大事と思うか、どういう短所を受け入れられるのか、あるいは避けたいのか、ということをよく考えて決めていかないと物事は進みません。

このように一長一短ありますので、その辺をよく説明して、と思うわけですが、そう良い話ばかりはできません。「希望を持てるように話してくれ」という要望があって、医者の側ももちろんそう思うわけです。「あなたはもうだめですよ」なんて言いたくはない。できるだけ希望が持てるように話したいということがある一方で、希望の話ばかりをしていると本当のところがよく分からないわけです。日本でも結構訴訟の話がありますから、良い話ばかりしていて悪い話に目をつぶっているわけにもいきません。

では、どの程度話をちゃんと聞きたいのか。「良い話ばかりをしてくれ」という患者さんもいると思うのですが、私が接している限りでは、そういう患者さんはあまりいなくて、「悪いことも含めて正面からちゃんと話してくれ」という患者さんがほとんどです。これはがんセンターという特殊性があるのかもしれませんが。

医療のプロとして患者さんにある程度希望が持てるように話をするとしても、真実を話すという話し方の工夫はしているつもりです。しかし、人によって受け止め方が違うので、どういうふうに話を聞きたいのかという望みをある程度おっしゃっていただかないと、どう話したらいいかよく分からないんです。マスコミなどは「人を見て医者がこの人はどの程度理解できるか判断しろ」などということを言いますが、どういう話だと希望が持てるのか、あるいは悪い話を聞いたときに患者さん個人、個人がどの程度がっくり来るのかは患者さん自身にもあまりよく分かっていないんじゃないか、と僕は思っているんですね。
 夫婦の間で、がんに罹ったら本当のことを知りたい、知りたくない、という話をなさっていた方でも、実際がんになったときどう感じるかは、がんになっていない時点で相談していたのとは全然違うと思うのです。本人が「がんだったら“がん”とちゃんと話してくれ」といっていたとしても、それを真に受けて全部話したらどうなるか、ということはよく分からない。結局私は患者さんと相談しながら「詳しい話をお聞きになりたいですか?」と、その時々の気分で決めていくしかないように感じています。

いずれにしてもある程度話をするときに「もっと詳しい話をしてくれ」あるいは「あまりきつい話はしないで欲しい」という気持ちをちゃんと教えていただかないとよく分からないということだと思います。

統計的評価がその人に当てはまるとは限らないという現実

ところで、ボストン(米国)にブリガム・アンド・ウィメンズという非常に名門の病院があります。USトゥデイの病院ランキングでトップ10に選ばれた病院です。この病院で治療を受けることに関して同意書がありまして、それには医者の側の説明として、「どんな治療、診断に関しても、医療的行為には予期しない合併症が有り得る。そういう医療行為や、結果についてどんな約束もできない」と書かれており、これを患者さんは皆読まされます。そして「医療行為は科学と言い切れるものではない。治療や検査の結果についてなんの保証もないということに納得した」という文面ですが、これにサインさせられます。

私が最初読んだとき、そのとおりだと思いました。命なんてもっとも不安定で先のことなんて不確実なものだし、もともとよく分からない。医者はいろんなことを言いますが、文献や今までの経験に基づいて、この人は多分こうだろうと推定してやっていることですから、当然その結果について約束したり、保証したりすることはできない。それはもともとそうなんですが、ここまではっきり言うことと、それに署名までさせることには非常に抵抗を感じました。

これは98年ごろの話なんですが、当時こんな正面きった話は日本ではしていなかったと思います。でも、これから日本でどうしていこうかと考えたとき、結果的には私もそうなってしまいました。「100パーセント安全な手術はない。なんでも起こりうるし、最悪の場合は命にかかわることもあると覚悟する必要がある」これをウチの病院で肺がんの治療を受ける患者さんに去年の6月から配り始めました。とてもきついんですが、医者になってかれこれ20年近く経ちますと、「絶対」なんていえるわけないと思うようになりまして、そうなると説明はこういうふうにやるしかないと考えるようになりました。実際これを患者さんがどういうふうに受け止めているか、アンケートをとろうと思っているところです。

医学の分野ではよく分からないことが多いですが、統計で何割くらいと分かっていることもあります。手術をするとき、無事に乗り切れるかどうか、と患者さんや家族の方は考えるわけですが、「こういう状態のときは何割くらいの方は大丈夫ですよ」ということは言えます。これもこと細かに患者さんの状態を分けていくと、実際その状態にスパッと当てはまる方というのは少ないですから、非常にアバウトになります。ある患者さんが確実にどうかということについて医者は答えられない。「あなたはおそらく大丈夫ですよ」という言い方はできますが、「絶対大丈夫です」とは言えない。

手術をすると、臓物を切り取りますのでそれに伴ってなにがしかの機能が落ちます。どんな機能障害が起きるかはある程度分かるんですが、本当にそのとおりになるかというとよく分からない。手術を受けると治るのかというと、ある病気の状態の方が何割くらいは治りますよ、という数字は出ますが、今目の前にいる患者さんが治るかというと、分からないというのが本当です。

同じようなことは抗がん剤にもあって、いろいろな組み合わせがあり、使い方もいろいろありますが、それぞれの抗がん剤がどの程度効くかは統計上ある程度分かっても、目の前の患者さんにとってその組み合わせが一番本当に効くのか、ということになると確実な答えはありません。

それから「その治療をしたときにがんは小さくなりますか?」と言われると、これも何割くらいの患者さんが小さくなりますよという言い方はできますが、目の前の患者さんに小さくなるという保証はできない。寿命が延びるかどうかも不確実な答しかできません。副作用の出具合も、やってみないと分からない。薬の種類によって出やすい副作用と出にくい副作用とありますので、ある程度こういう副作用が出やすいですよ、という言い方はできますが、必ずしも皆さんに出るわけではありませんし、逆にこういう副作用はあまり出ませんよと言っている副作用が出る方もいらっしゃるので、よく分からないというのが本当です。


治療法の基本的な選び方

腫瘍学に携わる人間がどう考えているかというと、まず第一に、がんの広がりがどうなっているかを考えます。がんが発生した場所、局所に留まっているのか、それとも血やリンパの流れに入って全身に広がっているのかを考えます。手術も放射線も、病変をとってしまう、あるいは放射線で焼いてしまうという、局所だけの治療ですから全身に広がってしまったものに対しては基本的に役に立ちません。だから手術、放射線をする、しないと言う話はそこである程度決まるわけです。全身に広がっているとなると、抗がん剤を血液に流し込んで全身に行き渡らせるしかない。

次に、そうした治療でがん細胞はどの程度なくなるかという話になりますが、手術は物理的にその場所を切り取ってしまうのでほぼ確実になくなります。放射線は手術ほど確実とは言えない場合が多い。この辺もちょっと口を濁すところなんですが、それなりにということになります。抗がん剤は非常によく効いてなくせる場合もありますが、なくせる種類というのは限られていて、多くの場合はがんを全滅することはなかなか難しいというのが現状です。

次に、それぞれの治療がどのように肉体的に負担をかけるかということです。手術は一時的に大きな負担がかかるし、臓物を切り取りますのでそれなりに働きが落ちるので、それに耐えられるかどうかが問題です。放射線の場合は比較的肉体的な負担は軽いのですが、長期にわたるので通院の手間がかかります。抗がん剤は副作用の個人差が大きいので、副作用が軽いと言われるものを使ってもぐったりしてしまう人もいれば、強いのを使ってもケロッとしている人もいる。これは予測がつかないし、よく分からないということになります。

手術、放射線、抗がん剤が、がんに立ち向かっていくときの柱なんですが、それらを組み合わせたらどうなるか、という話になります。かなり前からいろいろ試みられていますが、やはりまだ分からないことが多く、肺がんの分野でいうと抗がん剤を手術の前に組み合わせた方が良いという話が欧米から出て、一斉にそっちの方向へ走っています。原則的なことはいろいろありますが、よく分かっていなくて不確実です。でも目の前の患者さんをなんとかしたいと医者もがんばっているわけです。

たとえばメールで相談されたものですが、すい臓がんが進んでいる方で、ジェムザールがすい臓に使われる主流の薬ですが、それよりも「2剤3剤合わせて使ったほうが効果的であると書かれた文献があったがそれはどうなのか?」という質問を主治医にしたら、「当院ではジェムザール単剤の使用しかしない」といわれた。そういうことでいいのでしょうか? というお尋ねでした。

いろいろ調べてみますと2剤3剤併用法は奏効率、生存期間のデータとしては結構よさそうだと報告が出ています。ところがジェムザールだけ使った時と、いくつか組み合わせた方法、あるいは組み合わせた方法の間でどれが一番優れているかという結論はまだ出ていません。いろいろ文献を探せばA、B、Cの方法でどれくらい効いたかは判る。たとえばAの方法で20%、Bで25%、Cで30%効いた、というように探せば数字は出てくる状況ではあります。それだけ並べれば30%効いたCというのが一番優れているだろうという話になるわけですが、治療を受けた患者さんの背景はそれぞれの方法で少しずつ違う訳です。たとえば住んでいるところが違う、人種が違う、あるいはベースとなる病気の状態が少しずつ違う。そういうベースの違いによって成績に違いがあるかもしれない、という話になるので20、25、30と数字だけを比べてどれが優れているということは言えません。

それを調べるためには無作為割付による前向き試験が必要です。似たような状態の患者さんを大勢集めてきて、くじを引いてAというくじを引いたらAという治療を受けていただく。Bというくじに当たったらB、Cというくじに当たったらCというふうに、治療法を無作為に決めてやる。誰にでもやるわけにはいかないから、そういうふうにやっても結構だというボランティアを集めてきてやらないといけないので、どこの国でもなかなか進まない。だからそういう試験でどれが優れていると結論を出すのがなかなか難しい。

ではどんな試験が行われているか。すい臓がんでは5−FUとジェムザールという薬を単純に比較しました。比べてみたら5−FUという古典的な薬よりジェムザールという新薬の方が良かったという結論が出ています。これはジェムザールの方が優れているということになって良いのですが、じゃあその他の薬と組み合わせた方法はどうしたらいいの? ということになると、まだそういうくじ引きの試験が行われていないのでどっちがよく効くか分かりません。併用療法というのは薬がいっぱい入るので副作用が普通強くなります。そうなると、総体として実際のところどっちが優れているのかよく分からない。で、併用療法の方が副作用が厳しいということになると「ジェムザール単剤しかやらない」と答えた主治医の考えもとても妥当な考えなんですね。

よく考え、納得した方法こそ「正しい選択」


もう一つ考えなければならないのは、たとえば、5−FUとジェムザールと比べてジェムザールの方が優れていると分かっていても、目の前の個々の患者さんにとってどうなのかということは、可能性としてはジェムザールが一番良いと言えるのですが、実際その方法をやってみると全然効かないという患者さんもいらっしゃる。あとそれぞれの治療がまあまあこのくらいの副作用はしょうがないと言える副作用だからやっていいということになっているのですが、ある患者さんにはとてもひどい副作用が起きて、場合によっては亡くなるということだってありえます。そうすると、比較試験がされている標準治療でも、ある患者さんにとって最良だったのかということは分からない。その辺が非常に問題になるわけです。

結局のところ確率としてしか分かっていないものですから、それぞれの患者さんでいろいろなことをやったときどういう結果になるか確実な保証はないんですね。医療行為というのはこういったことで、つねづね実験的な側面を含みます。だからよく相談して、せめて患者さんご自身が納得されて自分で決めるしかないと私は思っていますし、幸いなことにがんの治療というのはわりと時間的に差し迫ってはいないことが多いので、たとえば肺がんの手術といいますと、1カ月くらいは結果はそう変わらないということが普通なので、あせって決めなくてもよい。それぞれの方法の一長一短をよくお聞きになり、ご家族ともよく相談したうえで、自分でこれならまあ良いという方法を選ばれるのが一番いいと思うわけです。

そうやって選ばれたからには自分で責任を持たなければならないという側面があります。もしその治療がうまくいかなくっても、誰が悪いのでもないわけです。率としてしか分からないわけですから、たとえほとんど効かず、副作用で命を落とすというようなことがあったとしても、これは誰が悪いのでもないんです。

そういう面がありますので、結局、何が正しい選択だったのかということは、よく考えて納得して選んだのであれば、それが本人にとっても家族にとっても正しかったと思っていただいて良いのです。

民間療法にはあまり期待しすぎない

そういう苦労をしている側から見ると、民間療法というのは非常にお気楽だと思います。「効いた」「効いた」という話は本を通して入ってくるわけですが、学会などには全然出てきません。私は肺がんの世界に入って10年ちょっとになりますが、学会で民間療法が効いたという話は一度もありません。もっとまずいのは、副作用がないのかどうかも検証されていないことです。薬として売られているものは、臨床試験の間ももちろん、認められて薬として売られてからも、副作用報告制度というのがあってずっと検証されています。

がんというのはとても個別性がありますし、もしかすると、“イワシの頭”で治るものもあるのかも知れないと思います。逆に“イワシの頭”で治るがんはないという証明もできない。私のスタンスは、「あまり期待し過ぎないでください。本に書いてあることをそのまま信じない方が良いですよ」ということです。患者さんにとっては、これは良さそうだと思ってするわけですから、一つには安心感のようなものが得られるでしょう。それはそれでいいでしょう。基本的には、よさそうだと思えるし、実際に使ってみて不都合がなく、値段も無理がないものならば否定はしません。無理があるものならやめたほうがいいでしょう。

率でしか分からない世界のことですから「絶対に大丈夫です」とか、「どんな状態でもこれをやっていればOKです」なんて宣伝をしているものは基本的に詐欺ですからそれはやめておきなさいよ、という言い方をします。そうやって使っているものはなにか引き起こすことがあるかもしれないので、「こういうものを使っています」ということを医者に言っておいた方がいいでしょう。

メメント・モリ

さて、医者になってますます思うようになってきたのですが、「メメント・モリ」というラテン語があります。日本語にすると「死を思え」という意味です。英語だとちょっとニュアンスが違って、「あなたは死ななければならないということをちゃんと覚えていなさいよ」ということです。どんな病気でもなんとかなる病気ばかりではない。へたをすると死んでしまうことがある、ということをいろいろな経験をすると思うようになる。

そういうことを覚悟して物事に向かわなければいけない、とますます思うようになってきました。医者とか看護師とか医療に携わっている人間というのは、いろいろ動機があったにしても、最終的には患者さんの役に立ちたいと思ってその職についている人がほとんどです。命は不確実だということを分かっておいていただきたい。

マスコミがいろいろ報道するわけですが、医療とか命というものに確実なものがあると思っているように見受けられ、私はちょっとどうかなと思っているわけです。基本的にはどういう状態にあっても死んでしまうことがあるんだ、ということを分かっていないのが非常につらい。

医療の現状としては、そしておそらく遠い将来でもそうですが、分かっていないことが多い。そういうことを理解していただいたうえで、手を携えて病と向き合っていきたいと思っているわけです。医者とのつき合いも人づき合いの一つなので、猜疑心むき出しなのはちょっと勘弁してほしいです。いろいろ質問されるのは勉強されていてむしろ歓迎ですが、「おまえなんか信じちゃいないよ」というのがハナから出ている人がたまにいる。これは手を携えてというわけにもいかず、とてもやりにくい。人のことはお構いなしという方もいらっしゃる。外来が混んでいるのが分っているのに一時間でも平気で話す。こういうのはちょっとまずいのではないかと思います。そういうことを前提のうえで医者はできるだけ患者さんの役に立ちたいと思っていますので、気兼ねしないで相談してほしいと思います。



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