---第33号特集記事---


―セカンドオピニオン

患者と医療者の新たな信頼関係を求めて

2004年10月 シンポジウム講演録


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講  演  者
埴岡健一さん 医療ジャーナリスト
南雲吉則さん キャンサーネットジャパン代表・医師
山下浩介さ 神奈川県立がんセンター放射線科医師
かながわ・がんQOL研究会
石井 猛さん 千葉県がんセンター整形外科医師
上野 創さん 朝日新聞記者 がん体験者





上野 創さん 朝日新聞記者)

 「患者の決断・自己責任を問うセカンドオピニオン」
上野創です。私は朝日新聞社会部の記者で、医療担当ではありません。

97年に26歳で睾丸のがんに罹りました。かなりの化学療法をやりました。6クール連続でやって、それでも全部取りきれないということで、さらに超大量化学療法というものをやりました。これは簡単に言うと、ちょっとずつ薬を使っていると、いつの間にかそれに強いがんが残っちゃう。だから、一気に全滅させるために大量に投与する。ところが、副作用が強すぎて身の危険があるので無菌室に入れたり、自分の幹細胞をとっておいて、元に戻してやり、副作用をなるべく早く排除する、そういう考え方の治療です。

そのあと、7カ月の入院を経て退院したんですが、翌年肺に再発しました。その次の年にまた肺に再発しまして、2000年8月に3度目の退院、3度目の職場復帰を果たして、以来どういうわけか再発なくここまできています。

セカンドオピニオンについてはジャーナリストという立場からいろいろ勉強もしています。ただ、いったんジャーナリストの部分と離れて考えると、つまり一人の人間として、患者として考えると、すごく不安と恐怖の部分が強いというお話をしようと思い、ここに患者の立場として出てきました。
告知から入院まで

私は体験を「がんと向き合って」という連載で書き、本にもなっています。私自身は非常に弱い人間でして、「よし!頑張るぞ!」と思いながら、いろんな経緯の中でメタメタにショックを受け、自分を失い、情けない姿で闘った、というのが実際なんですね。胸を張ってがんに立ち向かい、立派に生還してきた人間ではなくて、むしろ、いつも翻弄されて「苦しい、辛い」とブチブチ文句を言いながら闘病した、その経緯を全部書きました。

そもそも私はセカンドオピニオンを取ったかというと、取りませんでした。97年当時セカンドオピニオンという言葉が一般的でなかったというのがひとつです。私の場合、病院に行ったその日に「明日入院しろ。あさって手術するから」と言われちゃったんですね。睾丸腫瘍という病気は、睾丸は二つありますから、片方が癌化しているだけの場合は、1秒でも早く取るというのが、標準的な治療だということがあとでわかりました。これは一つ取っても影響が少ないことと、もうひとつは、転移が非常に早くて、本当にあっという間に転移が起こる。実際に私はその時、肺全体に転移していたんです。そんな理由でまず取って、話しはそのあとだ、という病気でした。このへんも私はがんの知識が全くなかったもので、非常にビックリしました。

「どうしたらいいか」というのは、「家族にどう話そうか」とか、「会社に何て話そうか」もしくは、「かかえている事件の取材を誰にどう引き継いだらいいか」、明日入院というのはとんでもなく慌しい限りで、午前中診察を受けて、午後から夜にかけてしか時間がない。パジャマも買わなくちゃいけない、というこれが患者の現実だったわけですね。そこで「さあ、セカンドオピニオンを取るぞ!」「この医師の言っていることは正しいのか?」自分のタマをいきなり片方取られる、そんな重大事を一人の医師の判断に任せておけない、というような判断が働くのではなくて、「パジャマの問題」がその時は自分にとってはたいへんな問題なわけですね(笑)。混沌とした混乱状態の中でなだれ込んだというのが、実際でした。


主治医の十分すぎる説明の前にセカンドオピニオンは頭に浮かばず

次の段階で肺転移がわかった。これは化学療法をしなくちゃならない。残念ながら放射線は効かないがんでした。肺全体に転移していて、手術はできないので、選択肢は一つしかないと言われました。化学療法の知識はありませんでした。

ここがもうひとつのタイミングでした。主治医は非常にまじめな人で、相手がブンヤだったということもあったらしいですけども、洗いざらい全部説明してくれました。この説明は治療に関する詳細、結果が悪い場合、副作用はどういうものが出るか、後遺症の可能性は何があるか、などです。理路整然と次々に伝授してくれました。新聞記者としてはとても大事なことだと思っていますし、個人としてもインフォームドコンセントは極めて大切だということに異論はありません。

しかし、当時の私の正直な感想は、「これから治療をするのにそういう話?」という感じでした。副作用の話を大量に並べてあげられて、おまけに全部命に関わる副作用なんですね。白血球が下がったら感染症に罹るかもしれない、そしたら命に関わります。肝臓で薬が代謝されるので、肝機能が上がるかもしれない。ある程度までは修復可能だけど、不可逆のところを過ぎると命に関わる。後遺症もかなりシビアな話をされました。末梢神経障害が進むと全身に麻痺がくる。麻痺はとれることがほとんどだけども、時々は車椅子になってしまう人がいないわけではない。それから腎機能がなかなか戻らない。ずっと腎障害をかかえて生きていくことになるかもしれない。

もしかしたら車椅子かもしれない。そしたらもうスキーは出来ない。もしかしたらがんは治るかもしれないけど、結局自分は新聞記者として一線には戻れないかもしれない。悪い方へ、悪い方へ気持ちが行ってしまいました。そんな弱い人間ばかりではないと思いますが、残念ながら私はそうなってしまい、最初の「俺は絶対治してやるぞ!この困難を乗り越え、一枚も二枚も成長した人間として娑婆に戻って来てやるぞ!」という、強い気持ちはどこかへ行ってしまい、意気消沈したというのが実際でした。

こういうときにセカンドオピニオンをとることが出来たか? 私は新聞記者なのでいろいろな情報を集める術を知っています。いろいろなタイプの図書館があることも知っていますし、医師のつてを探すことも出来た。ただこれも正直な話ですが体が動きませんでした。じゃあ図書館へ行って、次にインターネットであれを調べてみようと出来たはずですが、体がすくんで動けなかったのが現実でした。おまけにその前に副作用の話をこれだけ聞かされて、これ以上悪い情報を集めて、むしろメンタルの面でこれ以上打ちのめされてしまう方が怖かった。

しかも当時はセカンドオピニオンという言葉も知らない時代でした。主治医は一生懸命説明してくれましたが、残念ながらセカンドオピニオンについては特に説明はありませんでした。それから私の印象では、そのとき「築地のがんセンターに聞きに行きたい」とか、もしくは、「神奈川がんセンターの意見を聞いてみたい」と言える状況ではありませんでした。主治医はこういう方向でやっていく。しかも、「他にこういう選択肢もあるが副作用が強すぎるし、エビデンスがまだはっきりしていない」と、その薬を使わない理由まで説明してくれました。

なかば前のめりになっている主治医を前にして、「ちょっと待ってくれ。私は築地のがんセンターの意見も聞いてみる」とはなかなか言えない状況です。
それは先生を責めているわけではありません。皆さんもここで勉強して「セカンドオピニオンが大切だ。あのパンフレットがある」と思っても、一つの治療で世話になった、次の選択をどうしようかとなったとき、目の前の医師に対して、そういう言葉が出るかどうかということです。今のこの時期になったら自分がそうしたいのだったら言うべきことだと思うし、やりにくいことが分かっているからこそ、埴岡さんもこのパンフレットを使ってくださいとおっしゃっているのでしょうから、そういう側面を自分で乗り越えないといけない。その覚悟がないとせっかく出来たパンフレットが役に立たない。あのパンフレットが役に立たないまま過ぎていくと、セカンドオピニオンは普及しないし、勇気を出して言った人がいつまでも「珍しい人」で終わってしまうということだと思っています。

隠し事のない関係を信頼して

その後、抗がん剤の副作用は想像以上でした。これは本に詳しく書いてあるので読んでいただければ分かりますが、非常に個人差があり、私と同じ薬を使っているのに病院食では足りずに夜中にカップラーメンを食べている人もいました。私は病院食を運んでくる配膳車の音さえいやで、ふとんをかぶって寝ていました。臭いや咀嚼する音が耐え難いものでした。上野の書いた本を読んで抗がん剤治療は怖いから止めたいといわないで下さい。それくらい個人差があるということです。

治療をしていく中で薬が効かないという時期がありました。画像で診るとあんなに広がっていたがん細胞がほとんどなくなった。ただ、どんなにやっても消えないものが二つ三つある。これがどうしてか調べるのも手だけど、超大量化学療法をやりましょうということになりました。

超大量化学療法とは骨髄移植に近いものです。それで血液内科の先生がもう一人主治医になりました。血液内科の先生は私に詳細な図を書いて説明してくれました。「骨髄移植とはこういうものです。あなたのは自家幹細胞を使うのでちょっと違います。リスクはこうです」。非常に分かりやすい説明でした。ただし、いろんな不測の事態が起きるかもしれない。一番怖いのは感染症にかかることでした。無菌室で治療するので、1週間前から体の穴という穴に薬をぬり、しかも食べ物は全部加熱した物。うがいを1日に4回も5回もして、1週間で体を全部無菌にする。その後に無菌室に入って治療、というものでした。「泌尿器科でやるのは当院では初めてです」と言われました。

大学病院の柱は臨床と教育と研究ですから、私は研究の分野で寄与するんだなあ、と「モルモット」ということばが頭をよぎりました。もう一つは「20例血液内科でやって1名死にました」と言われたことです。かなり悩みました。そこまではっきり説明してくれました。後で思ったのが、隠していないということです。いいことばかり、おいしい話ばかり話してその裏にあるリスクを話さないということはよく聞きますが、そういうことはない。それは結局私に何を及ぼしたかというと、目の前にいる人間を信用しよう、もしくはこの治療に賭けてみよう、賭けてみようと決めたのは自分なんだから、何が起きようとそれについては後悔しないようにしよう、という気持ちになりました。

患者に開かれた関係は、自己決断を迫られる関係でもある

 弱い患者なので、そういうプロセスを経ることでやっと何がしかの覚悟が生まれてきました。先ほどの色々な皆さんの話の中に出てきましたが、それぞれの場面、場面、で問われてくるのは医師ではなくて、患者なんですね。
 ですから実は私は「覚悟」という言葉を本の中にもたびたび使っていますが、最近のインフォームドコンセントの風潮にしても、セカンドオピニオンの普及にしても、制度や環境はよくなっている。でも後からやってくる患者さんが、「こんなにいい環境になっている」と安穏としていれる世界が出来たかというと、そうじゃないと思います。むしろ迷うこと、決断しなくてはならないことが増えている。
 たとえばセカンドオピニオンをとって、最初の医師と次の医師で言っていることが違った場合、「決断はあなたがしてください」というのはある意味で残酷ですよね。意見が分かれたとき、家族としても、本人としても相当悩むわけです。いったいどれが正しいのか。それを全部包括的に見たとき、あなたにとってこれが最善ですよと言ってくれる人が欲しいのだけれど、そんな神様は現れるわけがない。自分の人生観、判断で決めて行かなくてはならない。そういう現実を知った上で、それも覚悟した上で、がんに臨んでいかなければならない。この点は変わっていないと思います。
 私はセカンドオピニオンの普及、インフォームドコンセントの考え方は全面的に賛成ですが、そのなかで決断を迫られ、悪い知らせに耐えて、自分の人生を背負っていかなければならないのは、結局患者自身でしかないということを自覚しておかないと、「どうしてこんなつらい目に」ということで終わってしまいかねないと思います。
 この辺はどうすれば良いのか? 患者教育を全国的にやればいいのか、というそんな簡単な問題ではないと思いますが、少なくとも制度を普及していくとともに、ちょっとずつ「皆さん自身の問題なんですよ、皆さん自身が決断を迫られるんですよ、そういうことをちゃんと受け止めて支えあって行きましょう」というメッセージを同時に伝えていくことも大切なんじゃないかと、以上が二度の再発をくらった私としてのメッセージです。


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